20170709『悲しみの中の慰め』マタイ2:14-23

 「夢で戒めを受けたので、ガリラヤ地方に立ちのいた。そして、ナザレという町に行って住んだ。これは預言者たちを通して『この方はナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」                     (マタイ2:22,23)
 エルサレムをおそらく80名ぐらいの集団で訪れた東方の博士たちの訪問、そして「ユダヤ人の王の誕生」との情報は、イドマヤ人であったヘロデ王の基盤を揺るがした。博士たちにその幼子のことを詳しく知らせてほしいと頼んでいたヘロデ王だが、神から夢を通して警告を受けた博士たちは別の国から戻った。それがわかったヘロデ王は、ベツレヘム近郊で生まれた2歳以下の男の子を全部殺害させたのだ。何という暴挙だろうか。
 当時の人口のデータによると20〜30名であったろうと推測されても、やはり幼子を殺害された親や家族の悲しみは深い。救い主の誕生によってこのような悲しみが起こることをなぜ神はとどめなかったのかと思う。しかし人間の罪の深さに嘆き悲しまれるのは、主ご自身ではないだろうか。エレミヤ書の預言から北イスラエル(エフライム:ラケルの子孫)の滅亡の悲しみの深さを思う。しかし、この預言は後のバビロン捕囚からの回復へと続いていることを忘れてはならない。悲しみの中にすでに慰めと希望が備えられている。救い主が人々から見下げられていたナザレで育つことも、人々の悲しみの中に慰めがもたらされる希望を表わしていよう。主は私達の悲しみを共に味わわれる。そして臨在によって真の慰めと平安、そして希望を私達に豊かに注いでくださる。

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