20171001『愛のわざへの招き』マタイ4:18-25

 「イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。『わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。』彼らはすぐに網を捨てて従った。」                      (マタイ4:18-20)
 主イエス・キリストは、ご自身の近くに置き、また生活を共にし、その歩みを見せ、そして派遣する為に12人の弟子を選んだ。それは旧約の12部族に関わる数であったろうし、二人ずつ、時には三人を…と豊かな交わりが生まれる数であったろう。主は憐れみを持って人を選び、用いられる。それは彼らの能力や力によるのではなく、ただ主の恵みによる選びだった(コリ1章)。
 すでにかかわりを持っていた弟子たちを、主は改めて献身の生活へと召した(ヨハネ1‐2章)。ここで召されたシモンとその兄弟アンデレ、そしてゼベダイの子ヤコブとヨハネは、後に12弟子の中核になっていく。彼らは漁師という働きの真最中に召された。「人間をとる漁師にしてあげよう」という約束が伴う招きだった。それは、人々に愛を届け、真の愛へと招き導く、重要な働きと使命への招きだった。ユダヤ教では弟子のほうでラビを選ぶが、イエスは逆に自ら弟子たちを選ぶ。
彼らは従うために網を捨てなければならなかった。しかし無責任な従い方ではなく、家族への愛と責任と共に彼らは主に従っていく(参照マコ1:20)。しかしまた主に従うことは、家族の絆以上に重要なことも事実である。主は私達をも愛のわざへと招かれる。私達はその招きにどう応えていくだろうか。

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