20171231『実を結ぶ人生の刈込』ヨハネ15:1-9

「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。」                                  (ヨハネ15:1-2)
 宗教改革から500年の節目を迎えた2017年の最後の礼拝だ。みことばに立ち、主への礼拝と賛美の改革をも成し遂げてきた宗教改革のリーダー達は、これほどの影響があるとは思わなかったであろう。しかし、彼らにではなく、主のみ言葉にこそ力があり、人を内側から造り変え、教会をも変え、豊かな実を結んできたのだ。
 まことのぶどうの木である主イエスキリストにしっかりと繋がり、霊的な交わりをし、いのちを受け取っている人は必ず実を結んでいく。霊的ないのちは私達をそのままにはしておかないからだ。御霊の実を結んでいるかどうかは、私達の側に問われているチャレンジだ。この一年、私達はどのような成長が与えられてきただろうか。私達の教会はどうであろうか、みことばに生かされ、問われ、実を結んできただろうか。
 農夫である父なる神は、私達を愛しておられる故に、私達がなお豊かな実を結ぶことが出来るようにと、刈り込みをなさるという。それは枝にとって痛みを伴う試練や苦難であろう。しかしそこにこそ主の愛と祝福がある。

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