20180220『義と認められる幸い』ローマ10:1-7

「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。…信仰による義はこう言います。『あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。』それはキリストを引き降ろすことです。」        (ローマ10:4、6)
 私たちの信仰は、常にみことばによって確認される必要がある。いつの間にか、聞こえの良い事のみを受け止める傾向が私たちには常にあるからだ。正しい教理に基づかない熱心は危険でもある。「神の義を正しく知らずに、自分の義を立てようとする」ことは、「神の義に従わない」ことなのだ。
 救い主キリストは、私たちが義に到達する方法としての律法に終りをもたらされ、成就された。私たちが義とされる道は、信仰による道である。それは異邦人にも、信じるすべての者に与えられるのだ。その信仰による義は、旧約聖書の教えであることをパウロは確認する。律法を守ることによって、神の義を手に入れることは不可能であるが、信仰による義は神からの一方的な愛、そして神の豊かな賜物として与えられるものである。
神はキリストをすでに地上に遣わし、救いを完成して下さっている。神は、人の救いのために必要なことをすでに成し遂げておられるのだ。私たちはその恵みを感謝を持って受け取り、神の義とされた者として、私たちも恵みと愛に生かされ、その愛と救いを人々に紹介する者とさせていただけるのだ。 罪深い私たちをキリストにあって義と認め、内側から愛で変え続け、愛を届けるために用いて下さる主に感謝しよう。

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