20180429『神の人の歩み』列王13:1-10

 
「祭壇よ、祭壇よ、主はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」       (列王13:2)
 ソロモンの後の王国の分裂は、大きな悲しみを神の民に与えた。ヤロブアムが北王国に持ち込んだ礼拝のあり方は、さらに混乱をもたらしたのだ。神の人が主から北王国に遣わされ、ヤロブアムがささげる礼拝の祭壇に向かって預言する。それは主の礼拝をゆがめているヤロブアムに対する裁きであると共に、約300年後に主が立てられる南王国ユダ王ヨシヤの誕生の預言であり、彼を通してその祭壇が破壊されることの預言でもあった。正しい礼拝がささげられなくなるときの、神の民の混乱は深い。主は神の人を通して語られたのであるが、この神の人をも主はためす。老預言者のことばを通し、この神の人はあるべき姿を逸脱し、いのちを落とすことになるからだ。
 しかし、この神の人への裁きを通して、主は神の民全体に語られている。「主を恐れる」ことを。老預言者はそれに気づく。しかし、神の人が去った後、ヤロブアムは聞く耳を失う。私達は神の警告を真摯に聞いているだろうか。主は私達に語られている。

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1件のコメント

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20180429『神の人の歩み』列王13:1-10」への1件のフィードバック

  1. 石橋秀則

    神を畏れることは、わたしたち信徒にとっての「いろは」だと思うが、心にスキができたり、思いが高慢になったりすると、そのことを忘れていることに気が付きます。

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