月別アーカイブ: 6月 2018

20180624『神の慈しみとご計画』ローマ11:11-24 

「あなたはその枝に対して誇ってはいけません。たとえ誇るとしても、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。」                     (ローマ11:18)
 神は、神の民イスラエルの違反によって、救いが異邦人に及ぶという驚くべき恵みを私たちに与えられた。それは、イスラエルが意図したことではなく、神が意図されたことであって、人の愚かさに妨げられずに、神のわざとご計画が実現されていくことをも示しているであろう。そして、それはイスラエルにねたみを起こさせるためであり、神の招きでもあった(10:19)。
 パウロは、自分がユダヤ人でありながら異邦人の使徒として召され、主のしもべとして用いられている恵みを語りつつ、それこそが、ユダヤ人のねたみを引き起し、それによって彼らの中の幾人かでも救われるようにとの強い願いを持っていることを示す。全てのことが神の恵みであるというパウロのメッセージは、パウロ自身が受け続けている神の憐れみと愛の豊かさを示している。神がイスラエルを捨てられた、しかしそれによって、神から離れていた異邦人が神との和解を得るに至った。もちろん、神はイスラエルを決定的に捨てられたのではない。神の民イスラエルが、神に受け入れられることは必ず起ることが繰り返される。その恵みの勝利と導きは、死者の中から生き返ることに表されるように主の恵みの勝利に基づく、憐みの契約にあるのだ。  主は私たちにも徹底して憐みの計画を持ち、成就される。

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20180617『父なる神との交わり』Iヨハネ1:3-7

「私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。…もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。」   (ヨハネ1:3,7)
 今日は父の日への心からの感謝を表す日だ。1909年にアメリカ・ワシントン州スポケーンのソノラ・ドッド夫人が、男手1つで自分達を育ててくれた父に感謝し、牧師に父の誕生月の6月に礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。母の日とほぼ同時期に始まった父の日もとても重要な示唆がある。父の働きは、子に分かりにくい。世の中で闘いつつ必要な糧を得るべく労し、大きな犠牲を払いつつ家族を養っている。その愛に私達は心から感謝したい。すでに神の支配に移された父親も少なくないだろう。しかし、思いを新たに心からの感謝を表したい。
 そして、何よりも父なる神の存在をも私達は心に留めたい。私達は天の父の働きや愛を日々の歩みの中で、確認し、感謝し、賛美し、そして父なる神との交わりに生かされたいのだ。私達の歩みは、この父なる神との交わりに原点があるといっても良い。全てを創造され、愛を注ぎ導かれる神の御手の中で私達は守られ、支えられているからだ。そして御子キリストのとの交わりもまたそれを豊かにする。キリストが私達になされた愛の犠牲を忘れてはならない。歴史の中に刻まれた神の愛を心深く受け止め、 今の歩みを感謝と共に進めさせて戴きたい。神はどんなときにもあなたと共におられ、恵みと祝福を注いでいてくださるからだ。父への感謝を心に留め、神との交わりに生かされたい。

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20180610『神の知恵を求める箴言』1:1〜7

「主を恐れることは知識の初め。愚か者は知恵と訓戒を蔑む。」                      (箴言1:7)
箴言は聖書の中の知恵文学の一つで、詩のような形で知恵と真理を教えてくれます。私たちは自分の知恵ではなく神様の知恵を求めて、それに依り頼む者でありたいです。知恵をもつということは、他者との関わりについて正しい理解を得ることです。つまり、神と人を愛することです。これは、イエス・キリストが新約聖書において、旧約の律法のすべてを要約した二つの最も大切な戒めと同じです。つまり知恵とは、キリストのようになることといえます。箴言1:7では、主を恐れることが知恵の始まりだとあります。そして2:1-5にはどのようにしたら主を恐れることができるのか説明しています: ? 教えを受け入れ、従いたいと願うこと
? 教えを心に刻み、暗記すること
? 注意深く教えに耳を傾けること
? 教えを情熱をもって求めること
? 世界一の宝のように、教えを大切にしよく調べること
これは箴言に限らず、聖書のすべての教えについて言えることです。これらの教えは全ての人にとって真理であり、有益です。神様からの知恵を求め、そこから学び、私たちの心と行いを変えてもらいましょう。もっとキリストのようになるために! (セドン宣教師)

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20180603『天に宝を積む人生』マタイ6:16-24

 
「自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。」                              (マタイ6:20,21)
 私たちは、様々な宝を求める。不安は私たちの心を地上へと向けさせてしまいやすい。地上に蓄えた宝は、高価な織物であれば虫がつき、金属の物はさびて価値を失う。盗人が家の壁に穴を開け盗んで行くことも少なくない。そのようにはかない地上の宝ではなく、失われる心配が全くない天に宝を蓄えるべきであると主イエス・キリストは、語られる。神に喜ばれることは永遠に失われることがないからである。地上のものを最も高く評価して生きているなら、それがその人の真の姿にほかならない。
 私たちの心がどこにあり、どこに向かっているのかが、問われる。しかし、それは地上の富をすべて否定しているのではない。私たちは、誠実に働き、知恵を持って蓄えることを聖書は語っているからだ。しかしそれを何のために、誰のためにするのかが重要となる。その上で、地上の宝によっても心の目が曇らされ、内なる光が暗くなるなら、その暗さは致命的なものとなることを心にとめる必要がある。弟子はふたりの主人に仕えることはできない。神と富との両者に仕えようとするなら、結局富に支配される。神に仕える姿勢は中途半端であってはならない。富に支配された心は思い煩いに支配されやすい。天に宝を積みたい。

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