20190106『憐れみに満ちた主と共に』マタイ9:9-13

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人です。『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」                       (マタイ 9:12,13) 私たちの人生の「使命」は何であろうか。それを求め、与えられ、受け止め、意識し、備えて一年を送りたいと願う。
マタイはレビとも呼ばれ、カペナウムで働く取税人であった。主イエスは、彼をその場から招かれた。漁師と異なり、取税人が仕事を離れることは、もうそこには戻れないことを意味していた(ルカ5:28)。マタイは覚悟を持ってキリストに従ったのである。ユダヤ人が嫌悪する取税人から自分が主の弟子となったことをマタイは隠さない(マタイ10:3)。主の愛と憐みに生かされたマタイは、自ら他の取税人たちや、律法を順守できない罪人と呼ばれる人たちを招いたようだ(ルカ5:29)。しかし、それは主の招きに基づいていたであろう(マルコ2:15)。それゆえパリサイ人たちは、彼らとともに食事をする主の姿に不平を露わにした。
しかし主は彼らに対し、主ご自身の使命を明確に語られた。それは自分が正しいと思っている者ではなく、自分の罪を自覚し、病んでいることを認めた者への招きであり、救いであったのだ。キリストはそのためにこの地に来られた。そしてそれは私たちもまた神の「真実の愛」「憐み」に生かされ、生きるためであると言えよう。主の愛を受け、使命をもって生かされたい。

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