20190113『きよめられた者として』マルコ1:40-45

 
 「わたしの心だ。きよくなれ」 (41) と主イエスが宣言すると、なんとあのツァラアトがすぐに消えて、その人はきよくなった (42)。これまでに大勢の病人を癒し、悪霊を追い出してきた主イエスが、ここでツァラアト患者をきよめる。
当時、ツァラアトは深刻な病とされていました。単なる肉体的な病でなく、宗教上の汚れ、即ち神の救いからの除外を意味したからです。言うなれば、神の呪いの印です。周囲の者はこれに触れないようすることが律法で定められていました。その者も汚れることになるから。しかし、主イエスはなんとさわり、ツァラアト患者をきよめられます。これは人間には決して出来ぬ行為です。旧約律法の概念から超越したこのイエスとは、一体何者なのでしょうか。
単に奇跡を成す方なのではない。44節で、「だれにも何も話さないように」と戒める主イエス。一体なぜ、このように命じられたのでしょうか。それは、ご自身の奇跡を隠すためです。ご自身が人々に正しく証しされる必要があったからです。単なる奇跡行為者としてでなく、「自分のいのちを与えるために来たのです」(10:45) と言われた、私たちの罪のために十字架に架かりいのちを落とすという、まことの救い主として。
しかし、今日登場した人は主イエスを正しく証しすることが出来ませんでした。私たちはどうでしょう。罪という汚れよりきよめられた者として、主を正しく証しする者でありたいと思わされます。

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