20190120『弱い自分を認め、共に歩む』ローマ 14:1-12

「私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」                        (ローマ14:8)
私たちは、キリストにあって「自由」が与えられている。しかし私たちはその自由を自分勝手な意味で理解し、自分のためにだけ使おうとしてしまいがちである。聖書は私たちに、「あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい」(ガラテヤ5:13)と勧めている。私たちは与えられている自由を他者に仕えるために用いるのだ。また私たちは他のキリスト者を裁きやすい。自分の価値観で、他の人の考えや行動を判断してしまうのだ。しかしそこには誤解が入り込みやすい。人の心の奥底にあるものを私たちは理解できないからだ。
私たちは、生きるにしても、死ぬにしてもそれを主のためにし自分自身が主のものであることを認めるようにと聖書は語っている。それは自分の愚かさや弱さを認めることから始まる。私たちの罪のために主がいのちを投げ出して下さったからだ。それゆえ私たちは誰もさばくことができる立場にない。それどころか主の愛に生かされ、その愛を人々に届ける者とさせていただけるのだ。私たちは、他者のために生きることの中に、本当の喜びを見出すことができる。そのように私たちは創られているのだ。私たちも主の愛に生かされ、その愛を仕えるために用いたい。

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