月別アーカイブ: 2月 2019

2190224『主の不思議な計画』列王記20:13-34

「主はこう言われる。『アラム人が、主は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ主であることを知る。』」                 (列王20:28)
アラムの王ベン・ハダドは、北イスラエルの王アハブの前に自国の強さを誇る。アハブは恭順の意を示しつつも、長老たちの意見、またハダドの傲慢さ故、ハダドへの警告を与える。アラムは大群でイスラエルを攻めるが、主は不思議にも一人の預言者を通して、アハブを備えさせた。主に背き続けたアハブをさえ、主は勝利の為に用いられ、アラムに勝利する。しかしそれはアラムの傲慢を打ち砕き、主こそ主権者であることを示すためであった。逆転の敗北を喫したアラムは、負けを認めない。そして一年後、今度は平地で戦えば勝てると考えた。そこにも神の前に進み出ない傲慢さを見ることができる。そこに私たちの姿もある
主はこの時もご自身の主権を示すために、アハブを通し、またご自身のわざを通して圧倒的な勝利をイスラエルにもたらされた。それはアハブの勝利ではなく、主の勝利であった。アハブもまた、憐み豊かな主の御前に整えられる必要があったし、先の危機からの勝利も、この勝利も主の招きであったのだ。
しかし、アラムの王ハダドが自分の前に助けを請い求めた時、アハブは軽率にもハダドを兄弟と呼び、アラムを助けてしまう。そこには主の勝利をまるで自分の勝利であるかのように考えたアハブの傲慢さと愚かさがあった。聖絶しなかったアハブの前に預言者が立つのだ、私たちの心はどうだろうか。

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20190217『人々と共に歩む』ローマ14:13-23

「このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々にも認められるのです。ですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つことを追い求めましょう」                        (ローマ14:18,19)
私たちは、自分の内側にある基準で人を裁きやすく、時にはそれで人を傷つけてしまう。私たちは常に自分の内側にある判断基準や価値基準を聖書によって整えられ続ける必要があるとともに、自分の正義を振りかざしてはならないのだ。
私たちは、神の前に真実に歩むことが求められる。それは私達を愛してやまないキリストの愛に応答することであり、キリストに仕える者は、人々にも仕える者とされ続ける。それは神に喜ばれることであり、人々にも理解され認められるへと向かう。この文脈の中には、食事規程のことが挙げられている。旧約聖書にある食事規程がことさらに気になる方もいれば、恵みの事由に生かされる人もいる。しかし私達は他の人の心に寄り添いつつ、愛をもってともなる歩みを心がけていく、キリスト者にとっては愛こそ自由を行使する上での基準であり動機でもあるからだ。その人のためにもキリストが死んで下さった方々の心を踏みつけるようなことがあってはならない。しかしそれによって真理が歪められてはならない。私たち自身が神と共に歩み、その愛と真実に生かされて私たちは、人々と共に歩む者とされ続けたい。主は私達と共にいて、私たちの歩みを支え続けて下さる。  平和に役立つこと、互いの霊的成長に役立つことを求めたい

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