20190303『主の愛と奇跡』マタイ9:27-35

「それからイエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを癒やされた。」                        (マタイ9:35)
先に主イエスは、12年間長血を患っていた女性の病を癒し、また会堂司ヤイロの12歳となっていた娘を死からよみがえらせた。創造主である主イエスにとっては、その愛のわざは至極当たり前のように私たちは感じてしまうのだが、そこには主の愛の犠牲があることを忘れてはならない。人となられた主は、自らの愛と癒しの力を注ぎだして、人々を癒され、そこに平安と慰めを豊かに与えておられたからだ。時に、目の不自由な二人の人が、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫びながら主について来た。主はその人達に「わたしにそれができると信じるのか」と問われたのだ。主は単に癒しを行なわれることを目的とされているのではない。その人の内側にある信仰を引き出され、真の成長へと招かれているのだ。彼らが、「はい、主よ」と答えると、主は彼らの目に触れ、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。すると、彼らの目が開いたと記されている。主は人々の信仰を引き出され、そのとおりに…と愛と奇跡のわざを行なわれる。それは、今の私達にも共通することではないだろうか。どうしても自分の願いや思いが先走りやすい私達だが、私たちの信仰はどのような状態なのか、どのように主に向かい、主に仕え、人々に仕えようとしているのか、私たちの信仰の姿勢を主は問われ、引き出される。新年度も主にある成長を与えられたい。

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