20190602『自分の十字架を負って』マタイ10:32-39

「自分の十字架を負ってわたしに従って来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを得る者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを得るのです。」                        (マタイ10:38,39)
キリストが招かれた弟子たちは、全員が無学ではありませんでした。しかし、彼らにはそれぞれの欠けがあり、不十分さを常に抱えていました。 しかし、キリストは弱さを持つ弟子たちを招き続け、整え続けました。そこに主の愛と忍耐があったのです。
主の福音宣教は様々な対立や反発、時には肉親の敵意さえ招くことがありました。現代ではそれは少なくても、私達には、自分に委ねられた使命を受け取り、覚悟を定めることがひつようです。そのような中で弟子たちの主イエスに対する愛が問われました。自分の家族に対する愛に勝る愛を、真の主であるイエスにささげるのでなければ、主の弟子としてふさわしくないからです。それは厳しい面がありますが、素晴らしい特権と祝福でもあったのです。また十字架に象徴される死に自分を渡し続けていくことが、弟子の条件でもありました。自分を主としやすく、自己中心的な自己実現を追求する時、私たちは真のいのちにあずかることが難しいのです。弱さや愚かさを抱えた弟子たちにも、キリストが一番求められたのは、自分に死ぬことでした。しかし私たちは、自分へのこだわりや自己中心的なあり方から離れていくことにこそ、真の喜びと祝福があることを見出すのです。

広告

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中