20190714『おいでになるはずの方』マタイ11:1-6

「目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」     (マタイ11:5,6)
主の御心に従い、人々に悔い改めを語り、王をも恐れず裁きを語り、真実な悔い改めを求めたバプテスマのヨハネは、捕らえられマケルスの要害に入れられていた。彼自身、主キリストに会い、「罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1:29)と紹介していたのだが、主の噂を獄中で聴く中、真実を確認しようとしたのだろうか。
「おいでになるはずの方はあなたですか?」とのヨハネの問いには、彼の心の渇きも見て取れる。しかし主の答えは明快だった。イザヤ書に記されたメシヤ(救い主:キリスト)の預言の成就がイエス・キリストにあって明確に示されたことを主は明らかにされた。そして、それに加えて、バプテスマのヨハネ自身も主の道を備える人であり、女性より生まれた人の中で、最も優れた人であると言明されたのだ。聴く耳を持ち、見るべき目を持つとき、私たちは、主の真理の豊かさと確かさを知ることができる。
旧約聖書が預言し、ヨハネが道を備えたキリスト、主イエスが目の前にいる。しかし人々も弟子たちもその恵みをなかなか受け取れない。私たちはどうだろうか。目と耳を開いていただこう。

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