20190825『神の裁きと憐み』列王記1:1-4,13-16

エリヤは立って、彼と一緒に王のところに下って行き、王に言った。「主はこう言われる。『あなたが使者たちをエクロンの神、バアル・ゼブブに伺いを立てに遣わしたのは、イスラエルにみことばを伺う神がいないためか。それゆえ、あなたは上ったその寝台から降りることはない。あなたは必ず死ぬ。』」                         (列王1:15,16)
アハズヤとは、「主が握られる」との意味を持つ、北イスラエル8代目の王である。彼になぜこのような名がつけられたのか明確にはわからないが、彼の人生の主権は、神の御手にあった。
父アハブが死に、モアブ人が背いたが、アハズヤには何もできなかった。彼はサマリヤの王宮で欄干から落ちた時、ペリシテ人の町エクロンの神バアル・ゼブブに使者を遣わして病気が直るかどうかうかがいを立てさせた(列1:2)。その使者は途中で預言者エリヤに出会い、神のさばきで王が死ぬことを宣告されたのだ。アハズヤ王はそれを受け止められず、エリヤを捕えようと50人から成る軍隊を二度派遣したが、失敗してしまう。三度目の隊長はエリヤの前にひざまずき、懇願する。そしてエリヤは王の前に立つことになる。それは神の憐みのひとつであるといえよう。神の人エリヤを通して、神のことばを聞く。それはアハズヤの人生ばかりではなく、イスラエルの民全体が、いや全ての人が主権者なる神によって握りしめられている事への傾聴を促すことでもあったろう。私達もまた神の前に立つ。しかし救い主が私たちの傍らに立っていて下さる恵みと憐みとを深く覚えたい。

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