20190908『悔い改めの重要さ』マタイ11:20-24

「イエスは、ご自分が力あるわざを数多く行った町々を責め始められた。彼らが悔い改めなかったからである。」 (マタイ11:20)
バプテスマのヨハネの悔い改めへの招きを受け入れず、また主イエスを救い主キリストだと認められない背後には、 メシヤへの思い込み や理想、自らの高慢や傲慢、内にある傷や劣等感、従いたくない心、委ねられない心がある事を先週学びました。それらは、私たちの心にもある事柄でしょう。悔い改めることは、向きを変えることを表しますが、私たちは心を神に向け続けること、心の耳を神のことばに向かわせ続けているでしょうか。
続いてイエスは、たくさんの主の奇蹟を見ながらも、悔い改めなかったガリラヤの町々を責め始められました。人々は、イエスにいやしや悪霊からの解放を求めつつも、主の言葉に耳を傾け悔い改めることをせず、自己満足にとどまっていたのです。ツロとシドン、そしてソドムは人々が良く知る傲慢さと堕落の象徴のような町々でしたが、主を認めないガリラヤの町々はこれらの町々より重い罰に値すると主は語られたのです。しかし、その背後には、主の愛と祈りがある事を見過ごしてはなりません。頑なな私達、愚かな私たちの悔い改めを主はとりなしの祈りと愛によって待ち続けておられるからです。ここにも主が関わった町々、人々への愛があるのです。私たちはその愛にどう応答していく必要があるでしょうか。

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