20191013『安息日の主』マタイの福音書 12章1-8節

「『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。人の子は安息日の主です。」                    (マタイ12:7,8)
 すべて疲れた人、重荷を負わされた人はわたしのもとに来なさいと招かれた主は、その招きを律法学者たちにも広げました。彼らこそ人々に重荷を負わせていたのですが、その背後には彼らもまた、負わされた事実があったからでしょう。
 「安息日」を守ることが律法学者たちの最大の使命だと言っても過言はない時、主イエスは弟子たちと共に、麦畑の中を通られました。主と共に歩み極度の空腹を覚えていた弟子たちの行動は予想されたでしょうし、それを見とがめられることも想定内だったのでしょうか。主は律法学者たちをも真の休息、また真の礼拝、待ち望むべきメシアの到来の恵みへと招くのです。律法の専門家であった彼らに、主は「読んだことがないのですか」と旧約聖書の史実を示します。安息日に取り下ろされた臨在のパンをダビデたちが食したこと、安息日に祭司は働きが許されたこと、それらは宮よりも偉大な存在である主との出会いへの招きでした。
 さらに、主は彼らの内側にある問題を指摘し、神が喜ばれるのは「真実の愛」ヘセッドであることを真に知るようにと招きます。その招きは私たちにも与えられています。体裁や表面だけを意識しやすい私達の心のうちが問われるのです。そこに真の安息への招きがあるのです。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中