20191110『良い実を結ぶために』マタイの福音書 12:22-37 節

「木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。」              (マタイ12:33)
聖書は人生の成功を私たちに求めない。それよりも実を結ぶ人生をと全人格的な成熟を求めている。それは天に続く祝福でもある。特に私たちの神と人の前のあり方が問われる。
悪霊につかれていた人が主イエスによって見事にいやされ、群衆は「この方はメシヤなのだろうか」と言った。悪しき霊の追放は否定出来ないが、人々がイエスに傾斜していくのはとどめたいパリサイ人たちは主の奇跡を悪しき霊、ベルゼブルの力に帰し。それは主を否定する言動であった。イエスは反論し、国等の内部に対立があれば立ち行かない様に、サタンがサタンを追い出すならその支配は成り立たないことを示し、悪しき霊の追放は神の御霊によるものであり、それによって神の国がすでに到来していることがわかるのだと語る。そしてパリサイ人に対して、どんな罪も赦されるが、明らかに聖霊のわざとわかることを悪霊に帰するような、聖霊に逆らう冒涜は永遠に赦されないと警告し、故意に逆らい続ける傲慢さを示したのだ。そこにも主の彼らへの愛と招きがある。

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