月別アーカイブ: 12月 2019

20191222『飼い葉桶での誕生』ルカの福音書 2章1-20節

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」         (ルカ2:11,12)
神の民イスラエルをはじめ、全世界が待ち望んだ救い主メシアの到来は、野原で夜番をする羊飼い達に最初に与えられた。当時の時代も、人々の心も、彼らの実情をも示す「暗闇」に天の御使いの軍勢が現れ、まばゆい光と共に捧げた賛美は、神の栄光を誉め讃える大いなるものだった。
羊飼い達は、彼らから「すべての民」のための良きおとずれを預かり、「飼い葉桶で眠るみどりご」とのしるしが与えられる。それは、至高者たる救い主メシアが最も低い所に下って来られるという大いなる逆説としてのしるしであり、彼らの苦しみや闇の実情に届く愛のしるしであった。彼らは「御心にかなう人々」として最初に神に選ばれた者たちであり、主がへりくだってくださったように、私達もまた、真のへりくだりへと招かれていることを思わされる。
当時の王も、学者も、祭司も律法学者達も、真のへりくだりを通らなければ、誠の愛と喜びに出会うことは決してできなかったのだ。私たちはどのような心でこのクリスマスを祝うのだろうか。私達もまた、真にへりくだられ、闇を光に変えてくださる主の愛と謙遜に学び、倣う者でありたい。飼い葉桶のような私たちの心に、王である主イエスを心から迎えたい。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20191215『私は主のはしためです』ルカの福音書 1章24-38節

「神にとって不可能なことは何もありません。」マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」 <ルカ1:37,38>
 私たちの人生には様々な苦難や痛みがある。しかしその背後に神様からの不思議なチャレンジと守りがある。
 イエスの母として用いられるマリアは当時の結婚年齢から推測すると13歳前後であったと考えられる。幼い少女ともいえるマリアが大きな使命を主から託され、大きな苦難へと出発していくことになる。そのために主は、彼女の親類のエリサベツを用いて下さった。祭司の娘として育った彼女であり、夫ザカリヤも祭司であったが、彼らには祝福としての子供が与えられていなかった。その痛みと待ち望みの中で、主は彼らにこの後バプテスマのヨハネを託していく。「神にとって不可能なことは何もありません」との御使いの言葉の真実さをマリアもそして夫となるヨセフも受け入れるようにと、あらゆることを備えて下さったのだ。この後救い主が経験する、壮絶な十字架の苦悩をマリアはまだ知らないが、ここに全てを委ね受け入れるマリアの信仰の第一歩を見ることができる。
 私たちの弱さを全てご存知の主は、苦難を通して私たちの心を育て、全人格を成熟へと導き、主に明け渡し委ね、信頼し従い続ける者と私たちを変えて下さる。主の取り扱いは恵みに満ちている。

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20191208『西暦元年の恩赦』ルカの福音書1章76-79節

2019年、巷では「令和元年」の祝賀ムードが溢れました。平成から令和へ・新天皇即位というビッグイベントに伴い、今回も小規模ながら「恩赦」が実施され約55万人に対して「復権」が行われました。 今日ご一緒に目を向けたいことは、人類歴史をBCとADに二分した「西暦元年の恩赦」です。
人が造った神々は、私たちが神と和解し、神との交わりを回復するためには色々なことを要求します。しかし、「人を造った神」について聖書が明らかにしてくれていることは、「一人ひとり、その人の行いに応じて報いられる」(ローマ 2:6)と同時に、「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:9ff)ということです。
人は自分を造った神に従うことをせず、自分の判断に従う道(死)を選んでしまいました。それにも関わらず、人と親しい関係を持つことを願っておられる神は、人との関係を回復する道を準備されたのです。神が制定された「恩赦法」は、「血を流すことによって与えられる赦し」です。「律法によれば、すべてのものは血によって清められる・・・血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル 9:22 )と記されている通りです。
このクリスマスに、世の罪を取り除く「神の子羊」として神ご自身が準備してくださったイエス・キリストの「恩赦」を感謝して受け取り、ご一緒にこのお方の誕生をお祝いしましょう。 (メッセージ/神田英輔師)

コメントする

カテゴリー: Uncategorized

20191201『神の御心を行う者』マタイの福音書 12章 38-50節

イエスは弟子たちの方に手を伸ばして言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」           (マタイ12:49,50)
 私たちは、どこかで奇跡を求める。自分の思いや願いを叶えてくれる存在を切望する時もある。律法学者達は、主イエスの愛の奇跡の業を見聞きしつつも、さらに奇跡を求めた。
 しかし彼らに与えられるのは、預言者ヨナのしるしとして示されたイエスの復活である。ヨナの説教でニネベの人々は悔い改めたが、ヨナよりもまさった主を見ても彼らは悔い改めない。また主イエスはソロモンよりもまさった者であるのに、彼らは真の知恵を求めようとしない。さらに主は、中途半端な悔い改めと共に霊的依存の危険性を示す。この時代は主イエスの愛の働きによって掃除されたが、主を心に迎え入れていない場合、以前より悪い霊の支配を受けることになることがある。
 私たちが、何を求めているのか、その心の中心にあるものを見極めて行く必要がある。主は霊的なつながりの重要さを、家族の視点で示された。「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」と語られる主の眼差しは優しい。私たちは主の家族として招かれている。神の喜ばれること、神の御心を行なうことには主の祝福がある。主の祝福を受け継ぐ者として歩みたい

コメントする

カテゴリー: Uncategorized