月別アーカイブ: 1月 2020

20200119『いのちを支配される神』第二列王記 4章18-37節

「彼女は入って来て彼の足もとにひれ伏し、地にひれ伏した。そして、子どもを抱き上げて出て行った。」
<列王4:37>
 預言者エリヤの賜物と使命を受け取り、北王国イスラエルで神の人として歩むエリシャは、多くの地で様々な神の業を行う。それらは、神の臨在と栄光を表すものだった。
 当時のユダヤ社会の中には歴然とした貧富の差があった。裕福な女性は、エリシャを神からの人として認め、彼を心からもてなす神を怖れる人であった。しかし彼女には、子どもが与えられないという痛みがあった。それを知ったエリシャは、神の導きによって男の子が与えられるという祝福を約束し、その通りになった。どれほどの喜びが彼女にも夫にもあっただろうか。主は、私たちの心の内にある祈りをご存じである。
 しかし、その子がいのちの危険をとおり、ついにはそのいのちを失ってしまった。祝福の後の悲しみは、より深い痛みを与えることがある。女性は、その事情を誰にも伝えようとしない。夫にもそしてエリシャにも秘めたまま、神への祈りの歩みを行動に移す。それは何故だろうか。人間的なものに寄り頼まずに神ご自身からの答えと癒しを求める、彼女の信仰の現れだったのだろうか。しもべゲハジを通しての奇跡は行われず、エリシャ自身の業を彼女は待ち望む。主は、彼女の信頼に応え、息子に再びいのちを与えられた。いのちを支配され、全てを時にかなって導かれる主になお信頼し、従いたい。 

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20200112『神の国の豊かさと成長』マタイの福音書 13章24-35節

「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」 <マタイ13:31-32>
 「神の国」の希望に生かされることは、私たちの信仰の生活にとってとても重要である。主の御業は、小さな弱い存在をとしてなされ、それは豊かに生長し、大きな影響を与えていく存在となっていく、そこに主の民と神の家族である教会の祝福があるからだ。選ばれた12弟子も、小さな弱い存在だったにもかかわらず、彼らを通して世界へと宣教の業が進められ、世界に大きな力をも与える存在となり、現在に至っていることは驚きでしかない。人の歩みであるとともに、何よりも主の業であることに心をとめたい。その一員として私達もまた召され、加えられ、その恵みと特権を与えられている。
 そして、教会には様々な人々が集まり、課題も少なくない。それは私たちの課題は、外側からの問題よりも内側に問題があることと無関係ではない。教会の問題は、人間の問題であり、その問題を通して主の教会は問われ、悩み、痛み、そして祈りに向かう。一人一人が問われること自体が、主の教会の祝福となる。そしてそれは「神の国」全体の祝福となる視点を与えられたい。世界大の視点を与えられて私たちは今を生かされることができる。主は私たちにどのようなチャレンジを与えて下さっているのであろうか。主の恵みと力に期待しよう。

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20200105『豊かな実を結ぶ生涯』マタイの福音書 13章1-23節

「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」 <マタイ13:23>
 新年最初の聖日礼拝は、私たちにとっても大切な意味を持ちます。主の復活を記念する聖日の礼拝は、常に私たちに真の希望を指し示するからです。どのような葛藤や不安、悩みがあろうとも私たちは真の希望を握りしめて、雄々しくこの一年を歩みぬくようにと招かれているのです。
 そして私たちはキリストにあってこそ、どこにあっても実を結ぶ人生を歩むことができるのです。それは神のみことばに対してどのような姿勢を持っているかが大きなカギを持っています。道端のような心に気づかされた私たちは、表面ではみことばを受け入れる用意がありますが、内側には固い心がそのままになっていることはないでしょうか。またそうならば、それは何故でしょうか…。また内側が耕されつつあっても、心に様々な誘惑や妨害はないでしょうか。具体的にはそれは何を指しているでしょうか。そしてそれはどこから来ているのでしょうか…。誰もが豊かな実を結ぶ人生を歩みたいと願っています。そして、そのいのちも力もすでに神ご自身が用意して下さっているのです。私たちはどのようにこの一年を歩むでしょうか。 

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2020元旦礼拝『どんな時にも喜びと感謝を』ピリピ人への手紙 4章4-9節

「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 (ピリピ4:5〜7)
 新しい年が始まりました。どのような事が私達を待っているでしょうか。期待と共に不安もあるかもしれませんね。しかし、神様の御手の中にある人生は、神様がご計画のままに導かれることに委ねることができる平安なものです。そして神様のご計画は、私たちに将来を希望を与え、苦難があっても脱出の道を備えていて下さると信頼して歩むことができるのです。
 パウロは、このピリピ人への手紙を書く時、ローマの獄中にいました。囚人として歩む中にあっても、パウロは主の教会の事に心を配り、特に人間関係で課題の多かったピリピ教会に、「喜び」と「感謝」のチャレンジをしたのです。自分を基準として喜びと感謝を判断しやすい私たちに、神の愛を基準とし、どんな時にも、どんな事柄の中でも、感謝を持って祈りと願いをささげるようにと招いたのです。そして他の書でもいつも喜ぶようにと繰り返し勧めています。
この一年、私たちもあらゆる思い煩いを後にして、神様を見上げ。どんな時も神様に信頼を置き、喜びと感謝を持って進んでいきませんか。全てを益に変えて下さる主とともに。 

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20191229『平和の神があなたがたと共に』ローマ人への手紙 16章 17-27節

「あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」           (ローマ 16:19,20)
今年最後の礼拝を共に迎えられることを心から主に感謝します。世界にも日本にも、私たちの周りにも家族や個人にも様々なことがあった一年でした。しかし、その全ての中に「平和の神」が共にいて下さった事を心に刻みたいと思います。
ローマの教会を取り巻く環境は、困難さを増しつつありました。皇帝によるキリスト者への迫害がゆっくりと忍び寄り、キリスト教会の中にも多くの課題や混乱もありました。しかしパウロを通して主は彼らに「信仰の従順」(1:5,16:19)を与え、為政者の為にも祈りつつ、何よりも神への信頼を深め、心から主に従うようにと励まし、慰めたのです。理不尽な状況が怒りを覚えるような情勢の中で、キリスト者はしっかりと主を見上げ、足元を堅固にし、正しくみことばに立ち、真実な交わりを深めていくことを聖書は繰り返し語ります。このローマ書におけるチャレンジも「平和の神は、…あなたがたの足で…」と私たちの信仰の歩みを力強く進めること、そして悪から離れ、善を行うことを薦めるのです。そのためにも、主にある兄弟の交わりは重要です。私たち一人一人は弱いからです。パウロ自身も人々の祈りと交わりに支えられたのです。祈りを必要とする状況があります。痛みがあります。しかしそのことを通して、私たちは平和の神の臨在を覚え、恵みの主イエス・キリストと共に力強く歩むことができるのです。感謝と共に新しい年に向かいましょう。

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