20200209『天の御国の弟子』マタイの福音書 13章 51-58節

「こういうわけで、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物と古い物を取り出す、一家の主人のようです。」                         (マタイ13:52)
私たちは皆、弱い存在である。しかし、主はその弱さのすべてをご存知でなお私たちを憐れみ、愛し、そして選び、祝福の器としてくださる。その霊的祝福の素晴らしさを私たちは心に留め続けていたい。
主の弟子たちは、「神の国」のたとえを主イエスから聴く中で、あらゆる恵みと祝福へと招かれた。それはどれほどの犠牲を払っても手に入れたい祝福であり、永遠の栄光を約束されている恵みの祝福だった。しかし、そこには厳しい現実もあった。悪しき者の存在と誘惑、神の裁きの現実もあったからだ。しかし最後に主は、彼らに主の弟子たちはたとえを通し神の国について悟るだけではなく、自分の倉に蓄えた神の国についての新しい理解と、それによって解釈し直された古い物をも自由に取り出すことが出来るようになるという特権さえ与えられていることを語られた。それは主が与えられた恵みの祝福の豊かさをも表すとともに、それを周りの人々にも分かち合うことのできる使命の確認でもあった。
また主の弟子とは、主ご自身を真に知り続ける特権にも預かっている。神の御子である方が、受肉され私たちと共に歩み続けて下さっているのに、私達はそれを人間的に解釈し、自分の理解の中に留めてしまうことさえある。私たちに与えられ委ねられている特権は大きく、豊かである。その使命に生かされつつ、聴く耳を持ち、主の豊かな愛を周りの方々に届けていきたい。

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