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20191201『神の御心を行う者』マタイの福音書 12章 38-50節

イエスは弟子たちの方に手を伸ばして言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」           (マタイ12:49,50)
 私たちは、どこかで奇跡を求める。自分の思いや願いを叶えてくれる存在を切望する時もある。律法学者達は、主イエスの愛の奇跡の業を見聞きしつつも、さらに奇跡を求めた。
 しかし彼らに与えられるのは、預言者ヨナのしるしとして示されたイエスの復活である。ヨナの説教でニネベの人々は悔い改めたが、ヨナよりもまさった主を見ても彼らは悔い改めない。また主イエスはソロモンよりもまさった者であるのに、彼らは真の知恵を求めようとしない。さらに主は、中途半端な悔い改めと共に霊的依存の危険性を示す。この時代は主イエスの愛の働きによって掃除されたが、主を心に迎え入れていない場合、以前より悪い霊の支配を受けることになることがある。
 私たちが、何を求めているのか、その心の中心にあるものを見極めて行く必要がある。主は霊的なつながりの重要さを、家族の視点で示された。「だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」と語られる主の眼差しは優しい。私たちは主の家族として招かれている。神の喜ばれること、神の御心を行なうことには主の祝福がある。主の祝福を受け継ぐ者として歩みたい

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20191124『主の教会の交わり』ローマ16:1-16

「キリスト・イエスにある私の同労者、プリスカとアキラによろしく伝えてください。二人は、私のいのちを救うために自分のいのちを危険にさらしてくれました。彼らには、私だけでなく、異邦人のすべての教会も感謝しています。」  (ローマ16:3,4)
 ローマ人への手紙を締めくくりにあたり、パウロは多くの主にある兄弟姉妹、また同労者の名前を挙げている。主の教会には、主を愛し、主と人々に仕える多くの働き人、愛の器がいたことに心をとめたい。ここにはローマにある主の教会で仕える26名のキリスト者たちの名が挙げられ、挨拶がなされている。その中には多くの婦人が含まれていることは興味深い。当時の教会の中でも、女性の賜物が豊かに生かされ、豊かな交わりが形成されていたのだ。彼らに対するパウロの心のこもったあいさつからも、初代教会の交わりの親密さを知ることが出来る。主の教会には交わりが欠かせない。真実な交わりは教会に力を与え、主の祝福をもたらしていく。
 また、パウロは同労者として、プリスカとアキラの名前を挙げている。この夫妻はユダヤ人追放令によってローマを退去し、コリントに逃れて来ていた時、パウロの伝道を助け、エペソを経てローマへ帰り主に仕えた。共に主の教会を建て上げる交わりは、格別の恵みがあり、家が解放され持たれた交わりは宣教の力となった。私たちも、主にある真実な、そして主体的に主に仕える献身的な交わり、祈りの交わりを築き上げたい。

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20191117『栄光に輝く喜び』ペテロ1:3-8

(召天者合同記念礼拝)

「私たちの主イエス・キリストの父である神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせ、生ける望みを持たせてくださいました。」              (ペテロ1:3)
 主のもとに戻られた方々の写真が礼拝堂の前に並ぶとき、お一人おひとりとの交わりの恵みを思い出します。笑顔の写真の背後に様々な悲しみをも通られた方々は、今は主のみもとで完全な平安の中にいらっしゃると共に、この時天と地との合同の主への礼拝にも集われていることを想像します。主の支配に移された方々の歩みは、私たちにあなたはどう生きるのかと問いかけているように思うのです。
 ペテロがこの手紙を書いた時代は、ローマ帝国からのキリスト者への迫害が強まる中でした。死が意識される中にあってペテロは初代教会のひとり一人を真の希望を見上げるようにと招きます。その希望は永遠に変わらない、栄光に輝く喜びに満ちた生ける希望なのです。それはどんな苦難があろうとも私たちは天に蓄えられ、私たちに与えられる天の宝を覚えつつ、力強く今を生きることができるとの招きであり、チャレンジです。近視眼的になり易く、状況によって一喜一憂する私たちも主イエス・キリストがその十字架と復活によって完成した永遠の希望を目指し、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍ることができるのです。この希望に共に生かされたいと願っています。皆さまへの主の慰めと平安をも祈りつつ。

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20191110『良い実を結ぶために』マタイの福音書 12:22-37 節

「木を良いとし、その実も良いとするか、木を悪いとし、その実も悪いとするか、どちらかです。木の良し悪しはその実によって分かります。」              (マタイ12:33)
聖書は人生の成功を私たちに求めない。それよりも実を結ぶ人生をと全人格的な成熟を求めている。それは天に続く祝福でもある。特に私たちの神と人の前のあり方が問われる。
悪霊につかれていた人が主イエスによって見事にいやされ、群衆は「この方はメシヤなのだろうか」と言った。悪しき霊の追放は否定出来ないが、人々がイエスに傾斜していくのはとどめたいパリサイ人たちは主の奇跡を悪しき霊、ベルゼブルの力に帰し。それは主を否定する言動であった。イエスは反論し、国等の内部に対立があれば立ち行かない様に、サタンがサタンを追い出すならその支配は成り立たないことを示し、悪しき霊の追放は神の御霊によるものであり、それによって神の国がすでに到来していることがわかるのだと語る。そしてパリサイ人に対して、どんな罪も赦されるが、明らかに聖霊のわざとわかることを悪霊に帰するような、聖霊に逆らう冒涜は永遠に赦されないと警告し、故意に逆らい続ける傲慢さを示したのだ。そこにも主の彼らへの愛と招きがある。

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20191103『慰めに満ちた主』マタイの福音書12:8-21 節

「彼は言い争わず、叫ばず、通りでその声を聞く者もない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともない。さばきを勝利に導くまで。異邦人は彼の名に望みをかける。」              (マタイ12:19-21)
安息日規定は、人の心も縛るものだった。主イエスは、そのあり方に挑戦する中で、パリサイ人たちをも招かれたのだ。しかし、パリサイ人は殺意で応答する。それを知ったイエスはそこを立ち去った。どのような思いであっただろうか。
主は、ご自身の後を追って来た病人たちを癒された。謙った主イエスの姿はイザヤ42:1‐4の成就と言えよう。イエスは第1に主が選ばれた主のしもべである。父なる神の御心の中を主はしもべとしての道を歩み続けられる。第2に、主イエスの働きは異邦人への希望であった。これは主の働きの広がりの預言とも言えよう。第3に、イエスは柔和なしもべである。主はパリサイ人の殺意に対抗して争ったり、自らの愛のわざを宣伝したりしない。葦は湿地にたくさん生えているから、傷んで役に立たない葦は折られて捨てられてしまう。くすぶる灯心も煙いだけで役に立たないから、消されてしまう。しかし、イエスはそれらのものになぞらえられる者であっても見捨てず、神の御心が成るまで忍耐をもって働く。ここに私たちの主イエスの優しく、へりくだった慰めに満ちた姿がある

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20191027『万軍の主は生きておられる』列王記第二 3章9-20節

「エリシャは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。…今、竪琴を弾く者をここに連れて来てください。」… 彼は次のように言った。「主はこう言われます。『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』」    (列王3:14-16) エリヤの使命を受け継いだエリシャも、北王国イスラエルに仕える。それは困難を伴う働きであったが、エリシャはどんな時にも神を見上げる。
 北王国のヨラム,南王国のヨシャパテ,エドムの王が連合してモアブ王メシャと戦うのは、北王国とモアブの政治上の問題にエドムの利害関係が加わったことによるものだった。北王国との友好関係のために、南王国も加わるのだが、様々な利害が絡む中にあって、神はそこにエリシャを通し、御業をおし進められた。複雑な状況の中に身を置くのは預言者とて簡単なことではない。しかし、そこでエリシャは竪琴奏者を連れてきて欲しいと願った。それはエリシャ自身だけではなく、葛藤の中を通る神の民の豊かな慰めとなったに違いない。
 エリシャは主の言葉として民への慰めを語る。それは『この涸れた谷にはたくさんの水がたまる。』との希望にあふれるメッセージであった。主はご自身に背き続ける神の民をも憐み、慰めと愛を注ぎ続けて下さる。私たちはその主の愛にどのように応えていくのだろうか。  万軍の主は、今も生きておられ、あなたを愛しておられる。

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20191020『平和の神が共に』ローマ人への手紙 15章30-33節

「どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン」
(ローマ15:33)
前回は、ローマ15:18-29から、『福音宣教の使命』として、5つのポイントで学んだ
 宣教の広がり スピリット
 宣教の力   みことばによる
 宣教のバトン 継承
 宣教の深まり 献身
 宣教の交わり 交わり 
 この最後の部分が今日の箇所である。宣教の交わりは、具体的な交わりであり、それは祈りへと結びつく。パウロは、自分のために祈ってほしいと願う。それは教会のためであり、何よりも主の愛と福音が広げられ届けられていくことであった。
 パウロは福音宣教の使命を、ローマにいる主の兄弟姉妹に分かち合っていく。交わりの中に 祈りがあることの祝福がある。それは共に平和を祈ることにつながり、祝福を受け継ぐように召された私たちの特権でもある。
 パウロは「平和の神」と良く用いる。平和の神が私達と共にいて下さるようにと心から祈る。それはそこにこそ、教会の祝福があり、力強い歩みがあり、またどんな中にあっても、愛の交わりを保つ秘訣があるからだ。平和の神がともにいて下さるゆえに、私たちはどんな中にあっても、神の平和を持ち続け、どんな争いをも祈りを通して和解に向かうよう努め、共に自らを捧げ、他者の為に生きることへと導かれる。私たちは、神と共に大きなチャレンジを受け止めていくのだ。

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