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20200112『神の国の豊かさと成長』マタイの福音書 13章24-35節

「天の御国はからし種に似ています。人はそれを取って畑に蒔きます。どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなって木となり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るようになります。」 <マタイ13:31-32>
 「神の国」の希望に生かされることは、私たちの信仰の生活にとってとても重要である。主の御業は、小さな弱い存在をとしてなされ、それは豊かに生長し、大きな影響を与えていく存在となっていく、そこに主の民と神の家族である教会の祝福があるからだ。選ばれた12弟子も、小さな弱い存在だったにもかかわらず、彼らを通して世界へと宣教の業が進められ、世界に大きな力をも与える存在となり、現在に至っていることは驚きでしかない。人の歩みであるとともに、何よりも主の業であることに心をとめたい。その一員として私達もまた召され、加えられ、その恵みと特権を与えられている。
 そして、教会には様々な人々が集まり、課題も少なくない。それは私たちの課題は、外側からの問題よりも内側に問題があることと無関係ではない。教会の問題は、人間の問題であり、その問題を通して主の教会は問われ、悩み、痛み、そして祈りに向かう。一人一人が問われること自体が、主の教会の祝福となる。そしてそれは「神の国」全体の祝福となる視点を与えられたい。世界大の視点を与えられて私たちは今を生かされることができる。主は私たちにどのようなチャレンジを与えて下さっているのであろうか。主の恵みと力に期待しよう。

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20200105『豊かな実を結ぶ生涯』マタイの福音書 13章1-23節

「良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて悟る人のことです。本当に実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」 <マタイ13:23>
 新年最初の聖日礼拝は、私たちにとっても大切な意味を持ちます。主の復活を記念する聖日の礼拝は、常に私たちに真の希望を指し示するからです。どのような葛藤や不安、悩みがあろうとも私たちは真の希望を握りしめて、雄々しくこの一年を歩みぬくようにと招かれているのです。
 そして私たちはキリストにあってこそ、どこにあっても実を結ぶ人生を歩むことができるのです。それは神のみことばに対してどのような姿勢を持っているかが大きなカギを持っています。道端のような心に気づかされた私たちは、表面ではみことばを受け入れる用意がありますが、内側には固い心がそのままになっていることはないでしょうか。またそうならば、それは何故でしょうか…。また内側が耕されつつあっても、心に様々な誘惑や妨害はないでしょうか。具体的にはそれは何を指しているでしょうか。そしてそれはどこから来ているのでしょうか…。誰もが豊かな実を結ぶ人生を歩みたいと願っています。そして、そのいのちも力もすでに神ご自身が用意して下さっているのです。私たちはどのようにこの一年を歩むでしょうか。 

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2020元旦礼拝『どんな時にも喜びと感謝を』ピリピ人への手紙 4章4-9節

「あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」 (ピリピ4:5〜7)
 新しい年が始まりました。どのような事が私達を待っているでしょうか。期待と共に不安もあるかもしれませんね。しかし、神様の御手の中にある人生は、神様がご計画のままに導かれることに委ねることができる平安なものです。そして神様のご計画は、私たちに将来を希望を与え、苦難があっても脱出の道を備えていて下さると信頼して歩むことができるのです。
 パウロは、このピリピ人への手紙を書く時、ローマの獄中にいました。囚人として歩む中にあっても、パウロは主の教会の事に心を配り、特に人間関係で課題の多かったピリピ教会に、「喜び」と「感謝」のチャレンジをしたのです。自分を基準として喜びと感謝を判断しやすい私たちに、神の愛を基準とし、どんな時にも、どんな事柄の中でも、感謝を持って祈りと願いをささげるようにと招いたのです。そして他の書でもいつも喜ぶようにと繰り返し勧めています。
この一年、私たちもあらゆる思い煩いを後にして、神様を見上げ。どんな時も神様に信頼を置き、喜びと感謝を持って進んでいきませんか。全てを益に変えて下さる主とともに。 

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20191229『平和の神があなたがたと共に』ローマ人への手紙 16章 17-27節

「あなたがたの従順は皆の耳に届いています。ですから、私はあなたがたのことを喜んでいますが、なお私が願うのは、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあることです。平和の神は、速やかに、あなたがたの足の下でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。」           (ローマ 16:19,20)
今年最後の礼拝を共に迎えられることを心から主に感謝します。世界にも日本にも、私たちの周りにも家族や個人にも様々なことがあった一年でした。しかし、その全ての中に「平和の神」が共にいて下さった事を心に刻みたいと思います。
ローマの教会を取り巻く環境は、困難さを増しつつありました。皇帝によるキリスト者への迫害がゆっくりと忍び寄り、キリスト教会の中にも多くの課題や混乱もありました。しかしパウロを通して主は彼らに「信仰の従順」(1:5,16:19)を与え、為政者の為にも祈りつつ、何よりも神への信頼を深め、心から主に従うようにと励まし、慰めたのです。理不尽な状況が怒りを覚えるような情勢の中で、キリスト者はしっかりと主を見上げ、足元を堅固にし、正しくみことばに立ち、真実な交わりを深めていくことを聖書は繰り返し語ります。このローマ書におけるチャレンジも「平和の神は、…あなたがたの足で…」と私たちの信仰の歩みを力強く進めること、そして悪から離れ、善を行うことを薦めるのです。そのためにも、主にある兄弟の交わりは重要です。私たち一人一人は弱いからです。パウロ自身も人々の祈りと交わりに支えられたのです。祈りを必要とする状況があります。痛みがあります。しかしそのことを通して、私たちは平和の神の臨在を覚え、恵みの主イエス・キリストと共に力強く歩むことができるのです。感謝と共に新しい年に向かいましょう。

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20191222『飼い葉桶での誕生』ルカの福音書 2章1-20節

「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。」         (ルカ2:11,12)
神の民イスラエルをはじめ、全世界が待ち望んだ救い主メシアの到来は、野原で夜番をする羊飼い達に最初に与えられた。当時の時代も、人々の心も、彼らの実情をも示す「暗闇」に天の御使いの軍勢が現れ、まばゆい光と共に捧げた賛美は、神の栄光を誉め讃える大いなるものだった。
羊飼い達は、彼らから「すべての民」のための良きおとずれを預かり、「飼い葉桶で眠るみどりご」とのしるしが与えられる。それは、至高者たる救い主メシアが最も低い所に下って来られるという大いなる逆説としてのしるしであり、彼らの苦しみや闇の実情に届く愛のしるしであった。彼らは「御心にかなう人々」として最初に神に選ばれた者たちであり、主がへりくだってくださったように、私達もまた、真のへりくだりへと招かれていることを思わされる。
当時の王も、学者も、祭司も律法学者達も、真のへりくだりを通らなければ、誠の愛と喜びに出会うことは決してできなかったのだ。私たちはどのような心でこのクリスマスを祝うのだろうか。私達もまた、真にへりくだられ、闇を光に変えてくださる主の愛と謙遜に学び、倣う者でありたい。飼い葉桶のような私たちの心に、王である主イエスを心から迎えたい。

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20191215『私は主のはしためです』ルカの福音書 1章24-38節

「神にとって不可能なことは何もありません。」マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」 <ルカ1:37,38>
 私たちの人生には様々な苦難や痛みがある。しかしその背後に神様からの不思議なチャレンジと守りがある。
 イエスの母として用いられるマリアは当時の結婚年齢から推測すると13歳前後であったと考えられる。幼い少女ともいえるマリアが大きな使命を主から託され、大きな苦難へと出発していくことになる。そのために主は、彼女の親類のエリサベツを用いて下さった。祭司の娘として育った彼女であり、夫ザカリヤも祭司であったが、彼らには祝福としての子供が与えられていなかった。その痛みと待ち望みの中で、主は彼らにこの後バプテスマのヨハネを託していく。「神にとって不可能なことは何もありません」との御使いの言葉の真実さをマリアもそして夫となるヨセフも受け入れるようにと、あらゆることを備えて下さったのだ。この後救い主が経験する、壮絶な十字架の苦悩をマリアはまだ知らないが、ここに全てを委ね受け入れるマリアの信仰の第一歩を見ることができる。
 私たちの弱さを全てご存知の主は、苦難を通して私たちの心を育て、全人格を成熟へと導き、主に明け渡し委ね、信頼し従い続ける者と私たちを変えて下さる。主の取り扱いは恵みに満ちている。

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20191208『西暦元年の恩赦』ルカの福音書1章76-79節

2019年、巷では「令和元年」の祝賀ムードが溢れました。平成から令和へ・新天皇即位というビッグイベントに伴い、今回も小規模ながら「恩赦」が実施され約55万人に対して「復権」が行われました。 今日ご一緒に目を向けたいことは、人類歴史をBCとADに二分した「西暦元年の恩赦」です。
人が造った神々は、私たちが神と和解し、神との交わりを回復するためには色々なことを要求します。しかし、「人を造った神」について聖書が明らかにしてくれていることは、「一人ひとり、その人の行いに応じて報いられる」(ローマ 2:6)と同時に、「私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。東が西から遠く離れているように主は私たちの背きの罪を私たちから遠く離される」(詩篇103:9ff)ということです。
人は自分を造った神に従うことをせず、自分の判断に従う道(死)を選んでしまいました。それにも関わらず、人と親しい関係を持つことを願っておられる神は、人との関係を回復する道を準備されたのです。神が制定された「恩赦法」は、「血を流すことによって与えられる赦し」です。「律法によれば、すべてのものは血によって清められる・・・血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル 9:22 )と記されている通りです。
このクリスマスに、世の罪を取り除く「神の子羊」として神ご自身が準備してくださったイエス・キリストの「恩赦」を感謝して受け取り、ご一緒にこのお方の誕生をお祝いしましょう。 (メッセージ/神田英輔師)

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