「そのころ、イエスを売ったユダはイエスが死刑に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちと長老たちに返して、言っ た。『私は無実の人の 血を 売っ て罪を犯しました。』」(マタイ27:3-4a)
イエス様を祭司長たちに引き渡したユダは、まさか「先生」が殺されることはないと考えていたような態度を示します。後悔したユダは、イエス様が無実であると証言しますが、もはや後の祭りでした。
しかし皮肉なことに、裏切り者の口を通して、イエス様の真実性が証明されることになりました。身内の証言だけでなく、敵となった者の証言が加えられることで、イエス様が偽り者ではないという証拠が補強されているのです。
後悔したユダは、立ち返るべき先を祭司長たちと長老たちに求めてしまいます。そんな彼らが、立ち返るチャンスをユダに与えることはありませんでした。「われわれの知ったことか、自分で始末することだ。」直訳すると「自分で自分を見つめろ」を意味する心ない言葉を浴びせます。宗教指導者にあるまじき矛盾した姿を彼らは、さらしました。 ですが、イエス様は違います。復活された後、逃げ去った弟子たちさえ兄弟と呼んで、そんな者たちをも「そこでわたしに会えます」と、御前に招いてくださるお方なのです。